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真夏の夜のユメ/スガシカオ
- 2007/11/23(金) 13:18:24
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「決して拭いようのない悲しみや憎しみに対して、
ぼくらはどうすればいい?」
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スガシカオは曲を聴く者にそう問いかけ、そして3つの答えを用意する。
恋人のぬくもりだけを頼りに、幾つもの夜を越えること。
(『真夏の夜のユメ』)
下北沢の雑居ビルに秘密結社のアジトを構え、間違いだらけの世界に反旗を翻そうと立ち上がること。
(『秘密結社』)
そして、せめてぼくらの街を通り過ぎる貨物列車に、この街が幸せな場所であるよう、祈ってもらうこと。
(『真夜中の貨物列車』)
しかしここで気づかされるのは、この3つのどれも、悲しみや憎しみ、嫉妬や絶望を消し去り、葬り去る“確実な手段”としては、まったく機能していないということだ。
スガシカオの歌が時にペシミスティックに感じられるのは、単に彼が世の中を無為に嘆いているからではない。
そうではなく、そのようなネガティブなモノが厳然として世の中を巡っているという事実。それを受け止めようとしない立場を、スガシカオは真っ向から“拒絶”しているだけである。デビュー以来から一貫して続いている、その度重なる“拒絶”のひとつの通過点として、このシングルはある。
さて本作は、映画『デスノート』前編のタイアップとして発売された。しかし映画の雰囲気をより良く表しているのは、スガとしては珍しい恋愛バラードであるメインの『真夏の夜のユメ』よりも、2曲目の『秘密結社』の方である。(そのことをスガも理解しているのか、同日に発売された『デスノート・トリビュート』の方には、『秘密結社』の方が入っている)。
この曲は、そのプリンスばりの気合の入ったファンクチューンもさることながら、原作漫画の夜神月にとっての「正義」がどのようなものであるとスガシカオが解釈したのかを読み解く材料としても、非常に興味深いだろう。この曲を聴いていると、「この世にあるどうしようもない悲しみと憎しみ」を、一冊の閻魔帳でもって抹消できるかどうかが、『デスノート』をめぐる一つの倫理的な問題だったのかもしれないとすら思わされる。
それにしても、この三曲の中で一番「未来がありそうな」のが、非生物である「貨物列車」の独白だと言うのは、一体どういうわけだろう。
「空に悲しみがなく、星に憎しみのない街がいいな」と祈るのが人間であっては、どうしてこうも説得力がないように思えるのだろう。そんなことを思った。
音については今回も文句なし。『奇跡/夏陰/サナギ』のときにも「三曲A面、外れなし」と唸ったが、ここ最近のシングルはずっとそればかりだ。末恐ろしいミュージシャンである。
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